曽我部隆志は、こうして生きてきたNo.1
実家は、愛媛県四国中央市土居町の国道を少し下がったところ。
生年月日は、昭和58年10月19日、
【幼少期】
曽我部家の長男として愛媛県新居浜市に生まれる。
周りの子どもたちにできる事ができなかったり、
普通は気にしないことを気にする子どもだった。
物心がついた時、
父は、仕事で忙しくてあまり家にいない人で、
母はそんな父の帰りをいつも寂しそうに待っていた。
そんな姿を見て僕は、
“僕が悪い子だから”、
母は悲しんでいるのだと思い込んでいた。
看護士である母も生活が不規則だったため、
僕は祖父祖母に預けられていた。
「僕はいらない子なんだ。」
「親に愛されないんだ。」
と思うようになり、
それに反発するように悪いことして幼少期を過ごす。
【小学生時代】
授業をじっと受けられない落ち着きのない子供で、
先生たちは手を焼いてたよう。
普通とは違う特別なクラスで勉強していた。
4年生の時、父の実家の四国中央市の土居町に引っ越す。
父の実家はとてもオンボロで、
お化け屋敷みたいで面白かったのを覚えている。
新しい学校でもじっとして授業を受けられなかったり、
運動が苦手なのでサッカーをすると僕のせいで負けたり、
僕なりに頑張ってみたけど、クラスには馴染なかった。
クラスメイトだけでなく先生からイジメられたりも。
ある日、急に死にたくなり、
水槽に両手首を突っ込み、ガラスで動脈や腱などを切断。
緊急手術にて命を取り留めた。
医者から親は、
「命は助かったけど、今後両手が動かないかもしれないから、
その時は覚悟してください。」と宣告されたそう。
学校に行きたくないと親や祖父祖母に相談しても、「学校は行くものだ」
と全く理解してもらえず、無理やり学校に行かされていた。
ストレスが原因で、ドンドン喘息が酷くなり、
イジメも酷くなり、やがて不登校に。
小学6年の時、松山の養護学校行くため転校。
あまりにも喘息がひどいことで、入院。
当時の僕はそれを、
“山奥の病院に捨てられたんだ”
と思い込み、
問題児になり親に復讐をすることを決意。
【中学生時代】
入院生活に馴染めず、ODオーバードーズ(大量服薬)。
2回目で、強制退院に。
1時間かかる養護学校に、
母が送り迎えすることになりましたが、
金銭的にも、体力的にも続かず、
香川県の養護学校に転校。
2回大量服薬したことが問題視され、精神科に入院。
お酒やタバコ、悪いことは一通りここで覚える。
あまりにも問題行動が多かったため一時退院を繰り返す。
いじめられないために、いじめをする。
リスカする。
髪を染めだす。
hideちゃんの影響をうける。
化粧をしだす。
初めて、やりたいと思ったギターにチャレンジする。
【高校生時代】
hideちゃんの死。
hideちゃんの後を追って、自殺をはかるが未遂に終わる。
髪をショッキングピンクにして、停学。
摂食障害になる。(男の子では珍しいと医者から言われる)
メンズの服がブカブカだったので、レディースの洋服を着だす。
L'Arc~en~Cielを知る。
HYDEに惚れる。悩殺される。影響を受ける。
友人の自殺。
病院で仲良くなった3歳の女の子の死(父親の虐待)。
可愛がっていた後輩たちに裏切られる。
結局、この世は、お金の切れ目が縁の切れ目だと思い知らされる。
金持ちになると決める。
…以上、こんな感じ。
いかがでしたか?
最近よく、
「TAKAさんは幸せで悩みなんてないでしょう?」
なんて言われるけど、
僕もあなたと同じように苦しんでドン底も味わってます。
だからこそ、あなたも自分次第で、
今の僕のように幸せを感じながら生きることができます。
生きててよかったーって思える日は必ず来ます。
曽我部隆志のこの紆余曲折ある生き方を見て、
それがあなたの勇気になったり、
自分も変われるんだと思ってもらえたら嬉しいです。